支援のネットワークをどのようにつくるか(3)

日本同盟基督教団の経験から

日本同盟基督教団 前震災復興支援本部事務局長 朝岡勝

 

はじめに

筆者に与えられたテーマは、「支援のネットワークをどのように作るのか」について、「日本同盟基督教団の支援ネットワークの経験から記せ」というものです。筆者は震災直後の2011年3月14日に日本同盟基督教団(以下「同盟教団」)の地震対策本部の派遣担当に任じられ、翌年4月からは改組された震災復興支援本部の事務局長として2015年3月まで奉仕してきました。

震災から4年間、同盟教団に属する全国250余りの教会が連携して、被災地への支援を行うためのとりまとめの働きに従事したのですが、当初から「こういうネットワークを作ろう」という目論見があったわけでなく、震災直後から手探りのように暗中模索を繰り返し、走りながら考えて行き着いたというものです。その意味で、本稿は「支援のネットワークは結果的にどのように作られたのか」と言うべきものでしょう。さらに言えば、果たしてネットワークと呼べるようなものができたのか?という根本の問いがあるのですが、一つの試行錯誤の記録として、また今後のための反省材料として以下に記しておきます。

 

1.ネットワークとは何か

「ネットワーク化」は今日の教会や社会におけるキーワードの一つです。今回の震災においてもその支援に関わる数多くのネットワークが誕生しました。ネットワークの特徴は、上意下達の「タテ」型組織ではなく、その時々の必要に応じて柔軟にかたちを変えながら、互いの結びつきを広げ、深めていく「ヨコ」型の繋がりにあります。いずれの場合にもリーダーシップが必要ですが、しかしリーダーシップのあり方には違いがあります。タテ型の組織の場合には、一つの大きな組織を構成している全体を把握し、そこにある必要を見極め、適宜判断を下す指導的なリーダーシップが求められます。一方、ネットワーク型の組織の場合には、それぞれ独立し主体性を持つ小さな組織の性質を尊重し、それぞれのニーズとリソース、情報を繋ぎ合わせ、それらが互いの間で循環し続けるように調整し、各組織がより活性化するように支援する援助的なリーダーシップが求められるでしょう。本来、「教会」という組織のあり方はネットワーク型組織と親和性が高いと思いますガ、しかし実際にはそれぞれの教団教派の神学や伝統、特に教会政治のあり方とその運用によって、「タテ型」の傾向の強いものと「ネットワーク型」に近いものとが現れたとも言え、今回の経験は、日本のキリスト教会に自分たちの制度的な教会のあり方を省みる機会をもたらすものであったとも言えるでしょう。

 

2.教会のネットワーク形成

私たち同盟教団は、北海道から沖縄に約250余の教会と、カナダ・バンクーバーに1つの教会からなる団体です。全国は16の「宣教区」に分けられており、震災被災地に該当したのは「東北宣教区」、「常磐宣教区」という二つのエリアでした。2011年3月14日に教団に理事長を本部長とする地震対策本部が設置され、教会堂や信徒宅で被災された方々がある19の教会を被災教会と認定し、問安と一時見舞金をお渡しするところから支援活動がスタートしました。

続けて初動段階で行われたの緊急の物資支援です。被災各地で物資が不足しているとの知らせを受けて、教団諸教会宛に支援物資を募り、各地から集められた品々を連日トラックに積んで東北各地に送り出すという働きが数週間続きました。その後、4月に入ると被災地の家屋の片付けや物資配布、仮設住宅訪問などの人手が必要になってきたこともあり、ボランティアチームの募集と派遣へと切り替わっていきました。牧師がリーダーになること、最低4名集まればチームを編成すること、現地の必要な働きに加わることなどを原則にして派遣が始まり、以後、4年にわたって継続的なチーム派遣が続くことになりました。

これらの活動の中で心掛けたのは、被災地の現状をどのように的確に知るかという情報収集と、その情報を教団諸教会に向けてどのように効果的に発信・共有するかということでした。当初は地震対策本部からのニュースがかなりの頻度で発行され、教団公式ホームページにも掲載されたほか、災害情報の掲示板が設置されて直接情報のやりとりが始まりました。やがて地震対策本部の態勢が整うにしたがって、対策本部としてのブログの開設、Facebookページの開設など、ウェブやSNSを用いてのネットワーク化が進むようになりました。被災地からの必要は掲示板やウェブページ、SNSを通じて公開され、地震対策本部から諸教会宛のお知らせ、報告、物資募集、ボランティア募集、祈りの課題などが分かち合われて行きました。これらを通して、フラットでスムーズな情報の流れができていったように思います。

二年目からは地震対策本部が震災復興支援本部に改組されましたが、やがて教団内の諸教会が、これらの情報共有を媒介として、独自に同じ地域の他教団の教会とネットワークを作って活動を始めた例や、宣教区として特定の地域と繋がった継続的な支援が始まるというケースも生まれていきました。ネットワーク化においては情報をいかに効率よく収集し、共有するかという点がポイントであることを教えられた経験です。

 

3.コイノニア的・ディアコニア的ネットワーク

ウェブやSNSを用いた情報共有の大切さもさることながら、やはり実際に現地に足を運び、人と出会い、ことばを交わすことがネットワーキングの基本でしょう。筆者自身のささやかな経験でも、各地のネットワーク会合に出席したことや、支援活動で同宿になったことで繋がった人々が多くあり、また人と人とを繋いでくれる「ハブ」のような役割を担われたリーダーの存在に助けられたことも数多くありました。

特に今回の支援活動で実感させられたのは、組織、団体という単位よりも、直接に個人と個人が繋がって自然発生的なネットワーク、「下から」のネットワークが生まれていったことです。教団教派を超えて一緒に何かの集会を企画したり、働く経験はこれまでにもありましたが、その場合はそれなりに時間を掛けた下準備があり、実行委員会などを組織して、役割分担や相互の調整が行われるのが通常です。しかし今回の出来事は、ある日を境に、目の前の圧倒的な出来事に直面させられて、何の準備もないままに走り出した人々が、その途上で助けを必要とし、知恵を求め、力を貸して欲しいと思ったときに、たとえば友人のひとり、たとえば神学校の同窓生、たとえば一度一緒に奉仕したことのある同労者の顔が浮かび、携帯電話のアドレス帳を頼りに電話をかけまくって出来上がっていったような感覚を持つのです。つまり日常におけるキリスト者の交わりが、非日常のような出来事の中で力を発揮したのでした。「ネットワーク」というと大袈裟ですが、キリスト者同士が普段からどのようにフラットでオープンで、主にある重荷を担い合う交わりを形成しているかが、とても大切なことだと思います。

そして最後に、震災支援のネットワークは「助けてを必要とする人を助けるネットワーク」であり、また「助けている人を助けるネットワーク」でもあったという事実です。つまりそのネットワークは自らを目的とした閉じたものではなく、その目的は自らの外にあり、それに与る点で「コイノニア」的なネットワークであり、しかも他者に仕える点で「ディアコニア」的なネットワークと言えるのではないでしょうか。

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