被災地での宣教のあるべき姿-教会の性質

米内宏明(国分寺バプテスト教会牧師、sola代表)

 

序)

「宣教のあるべき姿」を問う必然性はどこにあるのでしょうか。東日本大震災で被災地となった特別な状況下で、宣教の主体(あるいは当事者)であろうとした教会が自らの姿を顧みるところにこそあると言えましょう。それは同時に、被災地に限らず、日本の他の地域での宣教にも共通するテーマとなるはずです。日本にある教会が自らの姿を自己検証してこそ、被害に遭われた多くの方々とこの国に対する教会の責務を少しでも果たせるようになるのではないでしょうか。

本稿のテーマの中心は、宣教のあるべき姿を伝道プログラム(方策)としてではなく、教会の性質として捉え直すことです。自らの性質を捉え直すことは、自分が決め込んでいるセルフイメージを越えることです。さらには被災地から見えた教会の姿を受け止めつつ、もう一度自らを見つめなおすことです。

その意味で、この論考は「宣教論」であると同時に「教会論」でもあります。

 

 

1)宣教は、教会がコミュニティに関わること

被災地における宣教は、いつどのように始まり、実際になされてきたのでしょうか。そもそも何をもって宣教と定義するのかは大きな課題です。宣教について述べる場合、しばしば宣教の主体となるこちら側の理屈が先行しやすいので、ここでは被災地という地域性から宣教を考えてみます。

被災地と呼ばれる市町村、特に被害の大きかった地域にあっては、緊急避難の時期を除けば、現在に至までの大きな課題は「新しいコミュニティの創成」です。コミュニティといっても、家族や親族にだけ頼る昔ながらの共同体はおおかた崩れてしまいました。そのような共同体は、日本の都市部でもすでに見られなくなっています。

ここで新しいコミュニティの創成というとき、それは血縁・地縁を越える新しい関係作りのことです。高齢者や子どもたちは、たとえば介護や登校中の時間とは別に、誰かがケアをしないといけません。被災者の方々の話に耳を傾ける、一緒に食事をする、宿題の面倒を見る、などもそうです。それらを広く、さらに専門的且つ高度におこなうためには、行政もボランティアも一緒になって支援する仕組みが必要です。

その時に教会は何をするのか、です。これらの人々に対する「宣教」とは何であり、どうあるべきなのでしょうか。仮に宣教を「イエス・キリストにある人生を人々に提供し、人々が豊かに生きること」と定義すれば、もはや教会は被災者を支援するボランティアにとどまらず、ライフ・コーディネーターであるとさえ言えましょう。

そのとき教会は、地域活動に直接参与することも、コミュニティを支えるマインドを持った人を育てることもできます。被災地での宣教は、このようなコミュニティ・ワークを一緒に担えるかどうかにかかってくるのではないかと考えます。なぜなら、そのような繋がりを地域に生み出すことができれば、その繋がりと信頼が信仰的なテーマを直接扱うスピリチュアル・ケアに結びつく可能性があるからです。

 

 

2)宣教の原点が教会にある理由

コミュニティということばは、コミュニオン(聖餐/主の食卓)から派生したと言われています。実はここに教会の性質が表されており、コミュニティを創成するヒントがあると考えています。血縁・地縁、あるいは利害関係で結びつくことのないコミュニティとして、教会があったのではないでしょうか。ここから宣教論、教会論を語らないと、現代における新しいコミュニティの創成はあり得ません。

被災した方から聞いた印象的なことばがあります。「教会にはこういう人たちが行っているんだねぇ」。これは一度も教会に足を踏み入れたことのないご婦人がおっしゃったことばでした。その方が住んでいたのは漁業と農業の町で、それまで教会という建物は目にしていたそうですが、教会の顔が見えなかったのだそうです。「あそこにはどんな人間が行ってるんだべ」と。

震災直後からその町にクリスチャンのボランティアが入りました。ボランティアが地元の方々と一緒に涙と汗を流して活動しながら、食べるものもなかなか手に入らなかった時期でしたので、一緒にお弁当も分け合っていたそうです。その時に初めて「教会にはこういう人たちが行っているんだ」と、このご婦人の目にクリスチャンという顔が見えて、教会の中の様子まで見えたような気がしたというのです。

クリスチャンと一緒に食事をしたことから教会の顔が見えたというものですが、聖書にもイエスが食卓を囲むという場面が何度も描かれています。しかも、そこで出会いがあり、大切なことばが語られたことを覚えると、この食卓は重要な出来事と言えます。

「教会」を「エクレシア」(ギリシャ語)の訳語として説明されることがありますが、それだけでは教会が持つ拡がりをかえって狭めてしまうのではないでしょうか。ギリシャ語の「キュリアコスΚυριάκος」は「チャーチ(church)、キルヘ(kirche)、カーク(kirk)」という語に近く、その意味は「主のもの」です。用例は「主の晩餐」(第一コリント11:20)、「主の日」(黙示1:10)などがあります。

教会を主の晩餐(主の食卓)と絡めて考えますと、初代教会では、この主の食卓をどう囲むかが大きなテーマでした。言い換えれば、主の食卓における「共に生きる」「共にパンをさく」ことの意味と実践についてでした。使徒6章では、パンの分配が公平になるように教会が体制を整えようとしている様子が伺われます。そのきっかけは寡婦が共に食卓にあずかれるようにということからでした。同15章では、食事のための会議が開かれたとあります。この会議でユダヤ人以外の異邦人らにも食卓が開かれるという方針が決まりました。パウロがコリントの教会へ宛てた手紙の多くは食事のことでした(8,10,11章に詳しい)。

イエスご自身は罪人と呼ばれる人たちと進んで食事を共にされました。主の食卓は、教会が自ら何者で、主のご性質をどう反映しているのかを問う試金石となりました。そして初代教会の体制を一変させるものとなりました。さらに、民族の違い、男女の違い、貧富の差を超えて共に食事をすることで、教会が社会の階級制度を打ち破るきっかけにもなりました。教会は自らを変えて、世界を変えていったとも言えます。

宣教は、教会成長という自己増殖を目的とする前に、教会がもともと持っている性質に生きることではないでしょうか。それは他者と「一緒に食事をする」「一緒に生きる」ことから始まるのではないでしょうか。そのために初代教会のように宣教の主体である自分たちを変えることができるのか。教会の顔はどこに向いているのか。それが問われているように思えてなりません。

 

 

結)

教会がその性質を見つめ直し、そこに生きていこうとするとき、自ずとその時代における宣教は動き出すと信じています。被災地での声をもう一つ紹介します。「教会を始めてもいいんじゃないの?」。その方はクリスチャンでいらっしゃいません。お声をかけられて私は嬉しくもあり、ビックリもしました。でも問題は次です。

この方がイメージしている教会の姿と、牧師が一般的に考える「教会を始める」といったときの中身の違いです。その方の教会像は、普段一緒に食事をし、語り合い、涙を流し、励まして祈ってくれる、ことでした。そして一方、牧師が考える「教会を始める」は「日曜日の午前**時に礼拝をしますので、来て下さい」ではないでしょうか。

このギャップはどこから生じるのでしょう。教会形成・教会成長を主目標にする宣教から、「喜ぶものと一緒に喜び、泣く者と一緒に泣く」(ローマ12:15)コミュニティの創成を目標にする宣教、教会が必要とされています。

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