ボランティアの受け入れ、働き方、派遣の仕方

 

一般社団法人クラッシュ・ジャパン チームリーダー 永井敏夫

 

かけつけた人々

クラッシュ・ジャパンの活動は、ジョナサン・ウィルソン師と彼の教会の働きとして始まっていた。東日本大震災より以前から数々の災害時に働いてきたウィルソン師は、3月13日(日)の午後、東久留米で緊急のミーティングを呼びかけた。この呼びかけを聞いて集まってきたクリスチャンたち(牧師、信徒、海外からの宣教師)からクラッシュ・ジャパンによる東日本大震災の被災者支援活動がスタートした。集まった人々の心の中には、何とかしなくてはいけないという緊急感と、何をどうしていくのかが分からないという不安が混在していた。「被災した方々にボランティアを送る」為の団体としての動きはかくして始まった。

 

切迫感と混沌

クリスチャン・アカデミー・イン・ジャパンに隣接する松川プレイスの一階のフロアは、続々とかけつけてくる国内外のクリスチャンたちでごった返していた。英語が主なる言語であり、誰もが緊迫感を持ち、無我夢中で動き始めていた。大震災後一週間ほどで、諸セクションが設置されそれぞれに活動が始まっていたが、横の連携がうまく機能せずボランティアたちのストレスは日々高まっていったと思われる。メールや電話による問い合わせも限りなくあり、それらの対応にひとりひとりが必死であった。

 

ボランティアの受け入れ

メールや電話でボランティア希望者たちが申し込みをしてきた。問い合わせの全てはデータベースに登録、記録された。ボランティアは活動場所が本部、ベースに関わらず、クリスチャンであることを条件にし、所属教会の牧師、宣教師たちの承認と推薦を必要とした。このやりとりには相当の時間を要し、ボランティア活動希望者たちへの連絡が滞ってしまった時期があった。日本福音同盟から首都圏の牧師方が本部に来てくださり、諸教会との対応を担ってくださり、これで少しずつスムースになっていった。ボランティア希望者には保険加入、順守事項の確認など、諸手続きをお願いした。国内外からの英語を話すボランティア方も多く、事前の諸連絡はじめ居住地からベースへの移動など、多岐に渡るやりとりが必要であった。

 

指揮系統の統一

間もなくアメリカの災害支援団体から消防士が派遣されてきて、災害時指令システムの構築を指南してくれた。(Incident Command System:。以下ICS)このシステムの特徴として、組織内の指揮系統の統一があげられる。役割としては、指揮、連絡・情報、広報、安全・保安、心のケア、企画、物流(ロジスティックス)、経理の八つがあった。(後にリエゾンも置かれた。)これらの役割は東久留米の本部と以下の各ベースでも同じ形態であった。

5つのベースの設置

被災地域に派遣された査察チームのレポートをもとに、岩手県遠野、岩手県一関、宮城県仙台、栃木県那須、茨城県日立の五か所に活動拠点となるベースが置かれた。当初は福島県内にベースが無く、那須と日立からボランティアチームを派遣していた。活動の後期には、福島県内でのよりスムースな活動を願い、郡山、いわきにオフィスを置き活動を継続した。ベースの形態は場所により異なり、遠野は大きな一軒家、一関は民間のキャンプ場、宮城はクリスチャンキャンプ施設、那須はクリスチャンペンション、日立はキリスト教大学の施設をお借りした。(一関は後に、千厩の市営アパートを無償でお借りした。)これらの施設を提供くださった方々には心からの感謝を表したい。ベースと、地域教会、仮設自治会などとの関係は、当初ぎくしゃくした事例もあったが、少しずつ信頼関係が築かれていったように思われる。地域ではリエゾンの存在がとても重要であることを私たちは学んだ。

 

計画と活動

一日の支援活動はまずアクションプラン(Incident Action Plan 以下IAP)の共有から始まる。

前日の活動報告をもとに、その日の活動計画を協議の中で修正しながら意思疎通を図り、それぞれがこの計画に沿うように活動をするように努めた。計画をどう立案するかには相当のエネルギーを要することで、現地の要望と作業内容、ボランティアの人数のマッチングなど至難のわざだったように思われる。前述のICSに基づく努力が各自に求められたが、何とかしてニーズに応えたい、応えなくてはならないという思いと、そうできない数々の要因と状況の狭間で苦しんでいたスタッフたちもいた。また各役割を担うリーダーたち(初動時は宣教師方)がさまざまな理由でその役割から離れる際(ミニストリーや帰国などで)、同じチームの特にバイリンガルのスタッフたちへの負担が大きく、過労になった例が複数あった。自分に託されたやるべきことがあるという重荷を抱えつつ、休息したいという思いに蓋をして活動し続ける場合もあったことは否定できない。システム構築の大切さを認めつつ、そこには生身の人間がいて、はじめてシステムが有効に機能することを私たちは学んだ。

 

救援活動から復興支援活動

救援活動として、東日本大震災後約半年の間は、まずがれきの撤去、家屋の清掃などの活動と共に、水(特に福島県内で配布)をはじめとする物資を届ける活動を、被災地の諸教会、諸団体に協力する形で行ってきた。また、心のケアとして、ハンドマッサージ、傾聴、カフェ、子どもトラウマケアプログラム(オペレーション・セイフ:当時はクラッシュ・ジャパン内の活動)を、はじめは避難所で、後には仮設住宅で行ってきた。(注:オペレーション・セイフは現在「オペレーション・セイフ・インターナショナル」という団体名で活動)前述の各ベースでは、仮設住宅入居者方への関わりを中心に、各種支援を計画し実行してきた。ボランティア方の技術や経験を生かしたプログラムが組まれることもあり、また仮設の方々からのリクエストに応えて立案することもあった。

いつから救援が復興活動になるかの見極めはかなり困難であり、地域や人々により異なっていた。特にベースを撤収するという決断に際にしては、被災された方々や教会の声、そして共に労してきたスタッフたちの思いと、東久留米に置いた本部とのやりとりの間で相違と緊張があり、その調整には相当の労力を要した。このことで傷を受けたスタッフたちもいる。私たちはできるだけ、地域の教会ネットワークに託す形でベースを閉じるよう努めた。

 

団体がその地を離れる時

復興支援活動をいつまでと限定することは必要ではあるが、地元の教会の思いにどう寄り添えるかがとても大切である。一つの団体がその場を離れると、教会も被災された方々もその場に取り残されたという思いになることがある。クラッシュ・ジャパンはボランティアをしたいという思いのある人々と、ボランティアを必要とする(活動だけでなく、共に時間を共有する機会として)人々が出会えるように存在している団体である。時が経過するとボランティアに出かける人々の意識、志気が下がるのは自然ななりゆきである。一方、地域教会も団体がその場に存在しないと、地域への支援という思いはあってもなかなか動き続けることは困難になる。その地域にある教会が、被災された方々に寄り添う心を、どのように目に見える分かりやすい形で表していくかを、クラッシュ・ジャパンはお手伝いしてきた。

 

これからのクラッシュ・ジャパン

これからのクラッシュ・ジャパンは、災害発生時に地域教会または地域教会ネットワークがその地域で活動していく際の一助をさせていただきたいと思っている。また、災害が発生しボランティアの要請が届いた際に、広報を通してボランティア募集をスタートしたいと考えている。さらに、災害に関わらず、事件や事故に遭ったり、大切な人や物の喪失を経験している方々に対してサバイバー(被災者)ケアのコースを提供していきたい。また、首都圏を中心に教会防災ネットワークが誕生し、活動していることも大きな喜びであり、この動きがさらに活性化するように私たちは関わっていきたい。

 

求められる多様性

災害発生地域の教会の状況により、クラッシュ・ジャパンにも多様性が求められている。2013年10月の伊豆大島土砂災害では災害支援教会ネットワークの誕生のサポート役となった。2014年8月の広島土砂災害では、広島宣教協力会という良いネットワークのもとに協力する機会があった。2015年9月の台風18号による常総市被災者支援では、救世軍、日本国際飢餓対策機構などに協力できたことも喜びである。地域の教会の実情を受け止め、教会が互いに協力しながら活動していけるようにサポートする触媒のような存在でありたいと願っている。

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