被災地での宣教のあるべき姿-宣教の二つの車輪
宮城宣教ネットワーク世話人 大友 幸一
序
このテーマで語る前に考えなければならないのは、「宣教とは何か?」ということです。つまり、新約聖書に記されている宣教思想のことです。それはイエス様が当時の社会的弱者のニーズに応えつつ福音を語っていた方法であり、使徒の働きに記されたエルサレム教会が貧しい人々に食料を配りながらみことばを語っていたことであり、ヤコブ書の中で勧められている行動を伴った信仰のことです。つまり行ないと言葉がひとつになって宣教活動が果たされていたことになります。それを「宣教の二つの車輪」と呼ぶことができます。車輪の片側はソーシャルミニストリーであり、もう一方はエバンジェリズムです。それはちょうどコインの裏と表にたとえることができます。切っても切り離せないものです。そのような宣教思想をしっかりと確立していた教会やクリスチャンボランティアによって、被災地の人々の中から3.11を恵みと受け止める受洗者が起こされ、求道者や決心者が導かれています。
1.被災地は未伝地との認識を持つ。
私たちが関わってきた被災者の多くは漁業や農業を営んできた人々です。これまで全くキリスト教が入っていかなかった地域です。そのような地域は伝道が難しい、教会設立はできないと言われてきました。そのような人々にどのようにして福音を伝えることができるのでしょうか。
3.11によって被災地では多くの社会的なニーズが生まれました。それを満たしてあげなければと、様々な支援団体が被災地に入りました。その中にクリスチャンも入っていました。時間が経つに従って被災地のニーズが少なくなったことから大きな支援団体は撤退し、クリスチャン以外はあまり来なくなりました。そして目立ってきたのが地元のクリスチャンボランティアでした。彼らは一度も福音を聞いたことのない人々に何とか福音を分かち合いたいとの願いから、時間をかけた関係作りを大切にしてきました。被災者は支援者から物質的、人的支援を受けたので、よそ者であるボランティアに心開いているように見えますが、信頼関係が出来ているかというと決してそうではありません。元来、農村、漁村の集落は他人を受け入れることに慎重でした。ましてや信仰という、心を完全に開くことによって可能になる世界に飛び込むことは、そうたやすいことではありません。ですから時間が必要です。定期的なクリスチャンとの関わりの中で、この人たちは自分のことを心配してくれる人なのだと分かってきて、自分自身の被災体験だけでなく3.11以前から抱えていた心の重荷や、あれから4年経っても解決できない不安や悲しみを口にするようになります。その時に初めて、福音を語れるのです。そこまで私たちは待たなければなりませんでした。
2.キリスト者であることを明らかにする。
あるクリスチャンは被災地に入る時、自分たちはクリスチャンであることを明らかにしないでとにかく被災者に仕えようとしました。この場合だと後日、福音を分かち合う機会が訪れた時、一歩前に出れません。それよりも、始めからクリスチャンであることを明らかにしてボランティア活動していた方がよい実を結んだことが多いようです。
被災者は支援を受ける時、支援してくれる人が誰かよりも、何を支援してくれるか、どのように支援してくれるかを重視していました。とにかく、現状の辛い環境を何とかしてほしかったのです。支援者が仏教関係者であっても、キリスト教関係者であっても、どこかの会社であってもどこの国の人であっても構いませんでした。ですから自分たちがクリスチャンと名乗って何も問題はなかったのですが、自意識過剰による恐れではなかったかと思われます。
クリスチャンであることを名乗ることはかえって被災者から信用されることになりましたし、キリスト教はよい宗教だと証しすることにつながりました。クリスチャンはイエス様の心を持っています。憐みの心で被災者に接しました。外国から来たボランティアの多くが「神の愛を届けに参りました。」と言っていました。そして決して上から目線ではなく、被災者に謙遜な心で仕えました。津波被害による畳や家具の運び出し、泥かき、清掃、片付け等、丁寧に仕事をしているとの評判を受けました。また、花火を打ち上げるような派手なイベントはすぐ下火になり、いろいろな支援団体がいなくなっていく中で、最後まで被災者に寄り添ってくれるとも言われています。
クリスチャンは団体としても個人としても、定期的でも不定期でも支援をつないできたのです。それは後の日にクリスチャンが被災者との信頼関係で福音をはっきりと分かち合うためでした。
3.ネットワークに参加する。
被災地には被災地特有の課題があり、それは非被災者の感覚では計り知れないものがあります。3.11後の1、2ヶ月は非被災地からたくさんのクリスチャン支援団体、教会、個人が入りました。彼らは支援物資配布や労働ボランティアとして活動しましたが、一部には被災者に好まれない宗教活動をしていた人もいました。都会では一般的で普通の方法かもしれませんが、田舎の被災者には馴染まず、場違いなものでした。
3.11後の被災地宣教は日本において前例がないので慎重に始めなければなりませんでした。それで情報を分かち合うため、宮城県では「宮城宣教ネットワーク」を立ち上げました。敢えて「宣教」という言葉を入れたのはその目的を明らかにするためでした。このネットワークでは県内被災地を5つのブロックに分け、各ブロック特有の情報の分かち合いと全体での分かち合いがなされてきました。ネットワークの目的は現地の働き人たちが効果的な宣教のヒントを見い出すためでもありました。被災地の中で信仰決心しているのは時間があってよく聖書の話を聞いていた年配者ですが、なかなか洗礼にまで進みません。それは被災地にキリスト教の墓(納骨堂)がないためであることが分かり、あるブロックでは資金を出し合って、納骨堂を建てる計画があります。また、ネットワークは教団、教派を問わないので様々なボランティアとの出会いがありました。他の教団、教派の活動を知らないと、自分たちこそと高ぶる思いになることもありますが、分かち合いを聞くと謙遜にさせられました。さらにボランティア活動がもたらすストレスや疲れについても分かち合われましたので、孤独にならずにバーンアウトの危険からも守られました。また被災者にとって教団、教派は分かりにくいものであり、キリスト教会が他宗教のように分かれている印象を与えることで宣教の妨げになってしまう危険性がありましたが、そのこともネットワークによって被災者の情報が分かち合われ、一元化されていますので、被災者に関わったクリスチャンは多数でも、ひとつの教会として関わることができました。
結
3.11の被災地は岩手県、宮城県、福島県に及んでおり、被災地宣教の課題は各県特有のものがあると思われます。従って宣教の方法や進み具合もまちまちでしょう。私は宮城県での経験から3つの「被災地での宣教のあるべき姿」について述べましたが、今の所これはどの県にも共通しているのではないかと考えています。今後、他県からの情報を手に入れることによって、このテーマについて更に検討が加えられ、確かなものになっていくことでしょう。