被災地での宣教のあるべき姿ー弔いと宗教間協力

東北ヘルプ理事 井形英絵

 

2011年3月11日、仙台市の内陸部で被災した。地震被災地であったが、被災当日から会堂が避難所の役割を担うことになった。一週間後の一八日、仙台キリスト教連合を中心に情報共有のために被災地各地から牧師や信徒、国内外の支援団体が仙台に集まった。そして被災支援ネットワーク「東北ヘルプ」が立ち上がった。以来理事として奉仕している。

教会で避難所的な働きを続けるなか、震災から10日目、九州の先輩牧師より「弔い」の働きを担うようチャレンジを受ける。その牧師は、1995年の阪神・淡路大震災以後に、あるシンポジウムでなされた「宗教団体として固有の支援があったのではないか」との問いかけを心に留めてこられた。また、その方の知人で自死防止に取り組む方から、弔いを十分にできないとき、遺族の回復に時間がかかることも知らされた。当時、火葬場が流された地域では火葬まで一旦土葬しなければならない状況もあり、シーツ一枚でも持っていきたい思いであった。

東北ヘルプの事務局を担っておられた川上直哉牧師に相談し模索が始まる。川上牧師は震災前から宮城県宗教法人連絡会や、葬儀社の方々も加わった「儀式研修会」などにも関わりを持っておられ、キリスト教会が「弔い」についてできることを探して行かれた。仙台市にある葛岡斎場(火葬場・墓地)で、僧侶がボランティアで読経をしていることを知る。4月の上旬には各地からご遺体が運ばれてくるため、通常1日20体の火葬が60体になることになっていた。時間の短縮のためか、火葬前の儀式の時間が無くなる予定だったが、東北ヘルプ代表の吉田隆牧師より仙台市長に儀式の大切さを伝え、火葬前の儀式の時間を必ず10分取っていただくことになった。川上牧師は宮城県宗教法人連絡会と相談し、諸宗教協力のもと火葬場二階の一角に「心の相談室」という相談窓口を用意した。宗教者がご相談を受け付け、祈りつつその場にいる働きが4月10日より始まった。医療、心理、法律等の相談も諸機関につなげられるようワンストップの窓口を準備し、その相談の中に「宗教」を加えた。葬儀、ご遺骨、お墓、そして宗教的問いかけに対応するためであった。日本において火葬場は公共空間であり、一つの宗教では関わることができない。公共性を持つためには宗教間協力が不可欠であり、「心の相談室」はその具体となった。

 

「心の相談室」でのべ四日間奉仕させていただいたが、そのなかで最も重要だったのは、身元不明者の火葬時の祈りであった。ご遺族がおられる火葬は夕方終わり、その後、日によって身元不明のご遺体が警察の判断で火葬場に運ばれてきた。ご家族が必死に探している非常にデリケートな時期でもあり、実にひっそりと運ばれて来る。行政の管轄であるため、職員が棺を釜まで運び、火葬前の儀式はない。弔う遺族もいない。火葬しているとき、通常は扉の前に故人の写真や名前があるが、身元不明者はただアルファベットと数字で表されている。職員が去って火葬が始まると、宗教者は各釜の前でそれぞれの祈りをささげた。僧侶の読経、神職の祭詞、信徒の読経、そして神父・牧師の賛美と祈り。祈りの順番を待つ間、儀式をささげる宗教者の背後で感じたことがある。一人一人の宗教者は無力であった。火葬にふされる死者の前で、死の現実の前で。しかし、そこには祈りがあった。切実な祈りが。皆、無力の中に立たせられながら、しかし、祈りが立ち上がっていた。私はあの無力の中で祈った祈りの営みに、宗教間協力の原点を見、今に至るまで折に触れて立ち返っている。

一方、教会の被災支援ネットワークである東北ヘルプとして、宗派が決まっていない方や経済的に困窮している方々に仕えたいと願い、「弔いプロジェクト」を立ち上げた。内容は葬儀と納骨堂の提供である。費用は司式者の交通費のみで、各地の教会堂をお借りし、協力してくださる牧師を派遣して葬儀を行う。ある教会が納骨堂の使用をお認めくださった。利用者が生活再建してご自身のお墓を建立できたら移動もできる。支援団体にご協力いただき避難所などにチラシを配ったが、問い合わせが二件あったのみでこの支援が実際に用いられることはなかった。キリスト教会の葬儀がどのようなものか知られておらず、津波に襲われた沿岸部の80パーセントが寺の檀家という地域性もあり、緊急時に大切な儀式を依頼しようとは考えられなかったものと想像する。

さて、宗教間協力の働きである「心の相談室」は5月に医療者と宗教学者を加えて枠組みが広がり、新しい「心の相談室」の働きが始まった。出張傾聴カフェ「カフェ・デ・モンク」、電話相談、ラジオ番組放送、葛岡斎場での毎月11日の身元不明者の記念会を続けている。この宗教間協力を「平時」につなげ、宗教者が公共性を持って社会に仕えていくことを願い、2012年4月より東北大学文学部に寄付講座「実践宗教学」が開講され、「臨床宗教師(日本型チャプレン)研修」が始まった。この講座開設のためにも国内外から被災支援募金が献げられ、心から感謝している。

日本人にとって「弔い」は葬儀だけではなく、長い時間を包含する。キリスト教会の豊かさは死に至るまで寄り添い、葬儀が終わるまでの共なる歩みにある。一方、葬儀以降にもご遺族に関わり、あるいはご遺族が死者を記念し「弔う」場を用意することがなかなかできていない。僧侶は死者を読経によって成仏させることができ、死者に直接働きかけられると信じられている。プロテスタント教会では死者は神の領域であるため神に委ねる。以下のことが課題として与えられている。教会はキリスト信仰を持たないご遺族にどのような慰めを語り、ご遺族の「弔い」を支えることができるだろうか。死者を記念するとは教会にとってどのようなことなのか。信仰者ではない、そのご家族でもない、地域の方々の死と葬儀をどのように考え関わっていくのか。

今震災においても教会は「いのち」を支える事として人々の物的・精神的必要に応え仕えてきたし、今に至るまで仕えている。同時に被災地において宗教者・信仰者が差し出せる大きなものは祈りであると思う。二〇一一年五月に南三陸町で仏教者とキリスト者が共に「行脚」・追悼巡礼を行った。まだ公共の避難所さえ整っていない時に、宗教者が祈りつつ歩く道にたくさんの人たちが出てきて手を合わせていたそうである。二月に(二〇一三年)、現在は臨床宗教師研修の中で行っている石巻市での追悼巡礼に私も加えていただいた。讃美歌を歌い、主の祈りと聖書の言葉を発しながら祈りつつ歩かせていただいた。それは決してパフォーマンスであってはいけない。宗教者が切実に祈りながら歩く。ある人は通りに目をやり、ある人は手を合わせた。誰も見ていないことがほとんどである。それでも思う。宗教者は人々の祈りの通路になることを許されるのではないか。痛みを負った方々にとって、自分たちを超えたお方、存在につながる通路になることを。

 

〈質疑応答〉

 

今後の活動につながる質疑応答がなされたが、その中から今後の課題として重要と考えるものをここにあげる。

 

質問 「臨床宗教師」の公共性について質問する。宗教が公共性が持つという場合に、ある種前提にされていることをあまりに無批判にとらえすぎると、宗教が公共の名のもとに利用されてしまう危険性がある。魂をしずめる慰めをどのような目的で行うのか。靖国神社の問題と絡むが、公共性の持つ危うさを認識し、何のための公共性であり、何の目的でその公共性を学んでいくのか吟味して使っていくべきだと思う。

答え 「公共性」についても「臨床宗教師」についても、現場に生きつつ、現在進行形で言葉を立ち上げているところである。特に日本という土壌の中で、宗教的ケアがなされていない公共の場で、宗教者がどう仕えていくのかを模索している。「公共性」に含まれる危険性についても、今後共に議論を展開していただけるとありがたい。

 

(第2回東日本大震災国際神学シンポジウムより 分科会報告Ⅰ

弔いと宗教観報告——「弔い」と震災後の展開について

内陸部地震被災地域の牧師として)

 

 

*「東北ヘルプ」の活動についてはホームページをご参照いただきたい。<http://tohokuhelp.com/>

 

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