前書き(中台孝雄)

東日本大震災の教訓を今後に生かすために

DRCnet会長 中台孝雄

現在、「DRCnet」の略称で親しまれるようになった「災害救援キリスト者連絡会(Disaster Relief Christian Network)」(当初は任意団体であり、現在は、OCC・お茶の水クリスチャンセンター内の一部門として位置付けられています)の発足は、2011年3月11日(金)に起きた東日本大震災の数日後に遡ります。

当時、日本福音同盟(JEA)の援助協力委員会委員長として、この大震災に対しても取り組みを開始する責任の一端を担っていた私が、大震災から数日後に(我が家の内部もかなり物が破損し散乱した状態にありましたので、そうしたものをひとまず人が生活できるように片付けて、また日曜日の教会での奉仕も終えてから)JEAの事務所が設けられていたお茶の水クリスチャンセンターに出向きますと、OCCの理事長室に立ち寄るようにとの声がかけられました。

理事長室には幾人かの教職者、またクリスチャン実業家の方々がおられ、この災害に対して日本のキリスト教会が教派を越え、立場を越えて、一致して何か取り組むことができないか、との話し合いがなされました。その背景には、数年前に「プロテスタント宣教150周年記念」を、教派の枠を越えて祝ったが、その実りがその後継続的なものとはなっていない(それぞれの教派・教団に再び戻ってしまい、活動が内向きなままで、一致した日本宣教へと進んでいない)といった反省もあるようでした。

話し合いの結果、「東日本大震災救援キリスト者連絡会」をOCCの一室をお借りする形で発足させることになり、すぐに関わることのできる者たちで実務委員会が設けられ、カリスマ派、主流派、福音派の枠を越えて広く諸教派・諸教団に参加を呼びかけました(プロテスタント諸教派を越えたカトリック教会や聖公会、あるいは正教会は、それぞれの立場があり、働きがありますから、声をおかけすることは難しいものの、呼びかけの対象となっていなかったわけではありません)。

もとより、そうした何かの機関が存在してキリスト教会が一致してこの災害救援に取り組まなければならない、それほどの重大な危機の時だ、との認識は多くの方々が共有していていたもので、さまざまな教派の方々が参加してくださるようになりました。ただ大震災の直後で機関決定もままならない状況ですので、多くの場合は個人として、有志として関わってくださる形でした。

DRCnetは、被災地とそこで救援活動に取り組み始めた被災県の諸教会、被災地に拠点を定めて活動を開始した諸救援団体、そして被災地から遠い他地域から支援を開始した諸教派や諸団体、クリスチャン個々人といった多彩な立場を、車のハブのように結ぶつなぎの役割を進めるようになりました。当初50に近い支援団体がDRCnetに登録団体としてつながってくださり、各月のように全体会を開催して、情報交換を重ねてきました。

こうして現実の救援活動の一端をささやかながら担って活動を進めながら、実務委員会レベルで検討され、あるいは全体会で分かち合われてきた課題が幾つかあります。そうして浮かび上がってきた諸課題のあるものは、個別のセミナーやシンポジウムを諸団体の協力をいただきつつ折々に実施し、その場で課題として扱われてきました。

検討されてきた課題の第一は、1995年に起きた阪神大震災の時はどうだったのだろうか、という点です。震災が起き、被災者が生じ、救援活動が進められ、そうしてどのような形で直接的な活動が終えるようになっていったのだろうか(あるいは終えずに今なお継続されている取り組みや課題があるのだろうか)、そうしたすべてが次の災害に向けてどのように蓄積され、託されていったのだろうか、ということです。阪神大震災とその救援活動を直接経験した多くの方々から有益な示唆をいただきました。

第二は、韓国の宣教師の方々や実務委員の中から、こうした緊急の時にはキリスト教会全体を束ねて救援活動を一本化し、諸外国のキリスト教会からの支援の大きな窓口ともなるような団体が必要なのだ、この連絡会(割合早い時期に「DRCnet」という呼称が、内部でも、また対外的にも用いられるようになっていました)こそがそうした役割を担うべきなのだ、というご意見でした。確かにその通りなのでしょうが、それぞれの国のキリスト教会の事情も違い、前述のように広くキリスト教会全体が関わることを願って立ち上げられた団体とはいえ、正式な機関決定を経ての参加は少なく、有志的な参加と活動にとどまっていましたし、どこか別のところでDRCnetと同様の理念や願いを持った団体が起こされても、それはそれで当然のことですので、私たちだけが名実ともに日本のキリスト教会を束ねるような活動とは言いがたいことでした。ただ、そうしたものが(さまざまな課題や神学的な理解を乗り越えた上で)必要だということは誰しもが納得することでした。

第三に、初期の救援活動が進み、被災地への宣教の課題が出てきた時に、そもそも宣教とは何なのか、宣教と支援はどう違うのか、支援が宣教か、支援から宣教か、支援と宣教か、こうした課題にもあらためて直面するようになりました。阪神大震災の被災地域とは違い、東日本大震災の被災地域は、日本の中でもキリスト教の活動の極めて少ない地域だったからなおさらです。キリスト教会としてのこの地域への継続的な貢献はどのようなものであるべきか、そうした宣教と支援、伝道と社会的責任といった話題も、福音派のキリスト教会では1974年の「ローザンヌ誓約」以降、大切な視点とされてきたものの、あらためて取り組むべき課題となりました。

第四に、こうしたことに加えて、福島を中心とした放射能汚染の問題もありました。汚染の問題は解決に向けて取り組まなければなりませんが、放射能自体、あるいは原子力エネルギーについてはどう考えるのか、日本の社会も、キリスト教会も、新しい課題を突き付けられました。

 

大震災から5年を経過しようとしている現在、直接の救援活動と後方の支援活動(そのように分けること自体が適切とも思えませんが)は、少しずつ形を変えつつあります。活動に取り組んでおられた方々の肉体や精神の疲労、住まいや働きの転移等も多々聞かれます。DRCnetも正式名を「災害救援キリスト者連絡会」と変更し、前述のようにOCCの一部門としていただくことにより、将来の災害に向けて、形は小さくなっても、種火のようにして残り、いざという時には再度点火できるように、備えつつあります。

この段階で、これまでの歩みを、単に自分たちの活動の記録として残すのではなく、何が語られ、何に取り組まれ、何が課題とされ、あるいは答えが得られ、あるいは今後の検討課題に託されるのか、そして日本においては繰り返し起こることが避けられない災害に際して何を土台としてどのように取り組むのか、そうしたことをひとまずまとめることにしました。

今なお継続している忙しい直接的な取り組みの中から、時間を割いて執筆の労を取ってくださった方々に感謝します。これらが、東日本大震災の経験から学んだことや今後への提言・指針として、不十分な形であっても一つのまとめとなれば幸いです。

 

2016年1月

 

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