茨城・大洗 津波被災のインドネシア教会 高台移転計画が難航

2017年02月22日

茨城・大洗 津波被災のインドネシア教会 高台移転計画が難航

「主にある和」支援求む

 

【クリスチャン新聞2017年2月12日号】

東日本大震災の津波で被災した唯一の外国人教会、茨城県大洗町の大洗ベツレヘム教会(デッティ・アンナ・ロリンパンデイ牧師)が、今後も茨城沖で地震が予想される中で高台への移転を希望している。同教会には水産加工業で働く100人余りの日系インドネシア人が在籍しているが、出稼ぎ労働の賃金だけでは資金が不足し、日本の教会に支援を求めている。

水産加工業は3K職場で慢性の労働力不足に陥ってきたが、日本政府は1990年に入管法を改正し、就労制限がない「定住者」在留権を日系2世までしか認めていなかったのを3世まで拡大した。大洗周辺は水産加工業が盛んで外国人労働者の受け入れを積極的に進めてきた。大洗町は遠洋漁業でインドネシア・スラウェシ州ミナハサ県の港町と交流があり、多くの日系インドネシア人が働きに来るようになった。

津波浸水後の大洗ベツレヘム教会礼拝堂。壁面の黒い筋が津波の跡

イスラム教徒が多いインドネシアで、ミナハサにはオランダ改革派のキリスト教徒が多い。戦前から沖縄の漁師などが移住し、戦時中に日本兵の妻とされた現地女性との間に生まれた子孫もいて日系の家系がある。入管法改正で大洗地区の外国人労働者は急増し、中でもインドネシア人クリスチャンのコミュニティーは日本最大に。それに伴いインドネシア人教会も教派の違う4教会ができた。大洗ベツレヘム教会は改革派系ミナハサ福音キリスト教会出身者らにより99年に設立された。

出稼ぎ労働者の教会は継続を危ぶむ声もあったが、すでに18年が経つ。誠実な働きぶりが職場で認められ、労働定着率が高いため長続きした。教会員の子弟は地元の保育園、小中学校で育ち、日本の高校に進学するなど定住化が進んでいる。

教会堂は地元水産会社から漁具の倉庫だった建物の提供を受け、賃借している。沿岸部のため東日本大震災では1・6メートル浸水。建物は残ったが1階の家具、事務機器、音響設備などが使えなくなった。付近は大洗海岸など観光地に近いため休日には交通渋滞が起き、日曜日に大地震が起きれば避難に支障が出ることが懸念される。また震災時には避難所での礼拝や祈祷会が制限され、異国の地で祈りを頼りに生活する教会員にとって安全な場所への教会移転が悲願となっている。

このため大洗ベツレヘム教会は、災害時に指定避難場所となる小中学校のある高台に教会堂を建設もしくは購入したい考えだ。学校に近ければ友達を教会に誘えると子どもたちも期待する。移転費用は土地建物など8千500万円と見積もられているが自己資金は200万円。一部を借り入れても自力だけでは難しい。震災から6年、津波で被災した教会は各方面からの支援もあり再建が相次いでいるが、寄留者の教会が復興から取り残された状態だ。このため交流のある県内の教会を通じて、広く日本の諸教会に協力を求めることにした。

震災直後の日曜礼拝は、避難所となった中学校体育館で30分程度という制限の中で守られた

同教会への支援を続けている日本基督教団水戸中央教会の山本隆久牧師は、「大洗はミナハサ出身者にとって第2のふるさと。移転計画の支援は、外国の異文化で暮らす主にある同胞に安心と安全、主にある連帯を示すことになる。非キリスト教世界の日本において国境や民族を越えてキリストにある一致を示すことは、和を重んじる日本社会にいっそう大きく豊かな和を示す機会になる。日本の諸教会の主にある連帯でこの地に福音を伝えていく拠点を造ることができればと願っています」と協力を訴えている。

▽大洗ベツレヘム教会高台移転計画推進献金送付先=郵便振替口座00180・7・323521GMIJ大洗ベツレヘム教会

▽問い合わせ=090・1216・7172(日本語協力牧師・山本)

 

(解説欄)

戦時下のミナハサ迫害 太平洋戦争期、ミナハサは日本海軍の支配下に置かれ、キリスト教は敵性宗教として迫害された。オランダ改革派系クリスチャンらは収容所に入れられ、劣悪な環境で虐待を受けた。説教壇に日の丸を掲げることや宮城遥拝を拒否して殉教した牧師や、だまされて従軍慰安婦に徴用された女性もいる。オランダ人牧師3人を含む牧師11人、伝道師15人、教師27人が死刑になり、教会学校や病院が接収された。

一方でミナハサの住民は漂流してきた日本兵を救助したりもした。日本基督教団本郷教会員だった青木次郎氏はその体験者。終戦で捕虜となった際にミナハサの人々から受けた親切に報いようと、現地に学校を建てるなどの慈善活動を行い、大洗ベツレヘム教会の設立時にも支援した。

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